わたしはたち。

おやすみ世界

起立性調節障害という地獄。2

 

続きです。

 

わたしの可愛い妹は、高校生になりました。

 

大学附属校ですが、妹は指定校推薦で外部を目指していました。だから、遅刻はしても絶対に欠席しないと決めて、何時に起きても、残り1時間の授業でも、絶対に登校していました。

 

と、書いても伝わらないと思います。

朝六時から七時半まで母が起こし続け、その間発狂し、泣き、起き上がれないので横たわったまま着替えをし、ギリギリの時間か、遅刻の時間に母の送迎の車で学校に行きます。

我が家の朝は地獄です。叫び声で目が覚めます。

 

鬱状態でよく泣きます。ポロポロと泣いて、夜は何もできていない罪悪感で眠ることもできず、勉強も手につかないけどやらないとより罪悪感が増すので必死になってやります。深夜まで。

味もしないご飯を食べ、1人だと欠食し、風呂に入るのもしんどくて泣きます。

 

それでも絶対に学校に行きます。

そんな一年でした。

成績は平均より良いくらいをキープしていました。

 

二年生になりました。

初めての面談で、指定校を考えていると言った妹に担任は、

 

「うちから推薦は出せない」と言いました。

(もちろん診断書は提出しています)

 

遅刻回数です。

 

たまたま学校に遅刻せずに行けたひに友達に

「今日は寝坊しなかったんだ」と言われたそうです。

 

 

その日の夜妹がわたしの部屋に来て号泣しました。

 

わたし、何のために頑張ってたの?

こんなに死にたくなって

必死に頑張って、頑張って頑張って頑張って

学校に行っていたのに、

周りからはただの遅刻魔だと思われてた。

推薦すら権利がなかった。

どうすればいいの?

頑張って頑張って限界が来て、起立性調節障害になったのに、次の限界を迎えたらわたし死んじゃうよ

なんでわたしばっかりこんな病気なの?

 

どうすればいいんだろう。

わたしもわからない。

 

困って必死に起立性調節障害を見てくれるお医者さんを探すことしかできなくて、片っ端から問い合わせて、七月に予約が取れました。

 

でも、七月までこの子のメンタルは持つのだろうか。

毎日泣いている。

 

助けてあげたい、けど。

 

今日の朝も起き上がれずに叫んで泣いて、ぐしゃぐしゃになった顔で登校しました。

 

遅刻してきた友達と日向ぼっこして、ゆっくりしてから教室に向かったみたいです。

 

起立性調節障害は成長とともに軽減すると言われています。

悪化していくパターンもあるんです。

 

どうしよう。

 

 

 

起立性調節障害という地獄。

 

お久しぶりです。

この投稿は、許可をとってないのでバレたら消すかもしれません。はじめます。

 

わたしの妹は華のじぇーけーです。

そして、起立性調節障害という病気です。

おしゃれが好きで、絵を描くのが好きで、ぬいぐるみも好き。店員さんに話しかけるのが苦手で、1人マックを断念する、かわいいかわいい妹です。

 

妹は小6から本人の希望で集団塾に入り、中学受験をして私立中高一貫校に入学しました。そして中1のはじめに起立性調節障害を発症していまでも付き合っています。

小6の後半から徐々に妹は壊れていきました。

学校は半分保健室登校で、友達関係は学校も塾もあまり良好ではなくて、よく泣いていました。

夜寝れなくなり、起き上がる時に癇癪を起こしたり、鬱々としたり、ご飯を食べなくなったり、口数も減りました。

 

きっとここで気づくべきだったんだと思います。

とても申し訳ないと思っています。

ここで気づいて、病院に行っていれば、休ませてあげていればよかったのに、って。

ちょうどこの時期、

わたしが拒食症で不登校になって、学校側と揉めている時期でした。

家族はみんな痩せていくわたしの心配をしていて、妹が病気だと気づいていなかったんです。

 

中1の夏休み目前、妹は起き上がれなくなりました。頭痛も酷くて、週に何箱も頭痛薬のゴミがでました。起き上がる時に錯乱して叫び、自分の頭を打ちつけたり、意識朦朧として家族を蹴ったり、物を壊したりしました。

 

もしかしたら、起立性調節障害かもしれない。

小児科にかかったら、すぐに診断をされました。

 

なんとか、薬と、母のサポートで、

中学は卒業できました。

一貫校で受験がないのも救いでした。

 

続きます。

摂食障害は私じゃない話

主治医の先生が、摂食脳は私じゃないから安心しなさいって言っていた。


我慢ができなくて食べてしまう私、

お金を取ってまで食べてしまう私、

食べる時間にイライラしてしまう私、


全部、全部、脳が摂食に負けているだけ、


賢くて、優しくて、素直ないい子です、摂食に押されているだけで、いなくなったわけじゃない。と。


ずっと私は

性格がひんまがってしまったんだ、

クソなんだ、って思っていたけど、


摂食が占める割合が減っていくごとに、

何が好きだったか、何に心が動かされるか、

家族との時間の楽しみ方、


自分と他人は別物であること、理想と現実、

キャパシティ、

少しずつ鮮明になってきて、


いい意味で諦めがついた、これが私なんだなって。


私は摂食に支配されたくない、

でも一年前まではガリガリになって死にたい、

痩せたまま早く楽になりたい、すぐ死ぬから傷だらけでもいい、って本気で思ってた。


人は変われる。


もし完治という状態にならなくても大丈夫。

コントロールがきくならば、摂食と付き合える。




深い傷

だれにも言ったことないはなし。


35キロだった体重が1キロ増えた時、死なないといけないと思ったの。

人の少ないショッピングモールの100円ショップで安全刃のない貝印のピンクのカミソリを買って、滅多に人が来ないお店から離れた共用トイレに篭った。


手首から肘の中間、

深く切りたい時は勢いよくなんて引かない。


刃の端っこを、皮膚に数ミリ食い込ませる。

グリグリ押しつけて、ゆっくりゆっくり

押しながら引いていく、

人の眼みたいな、パックリとした切り口、

深すぎて血は出ずに勢いよく出てくる脂肪の塊、

持参したピンセットで一つ一つ脂肪を抜いていく。


大きい脂肪を取った時に噴水みたいに溢れる血、

やばい、これ貧血になるぞ、いや私は死にたいんだ

と思っていたら誤作動か、閉め忘れか、

開いたトイレのドア、


乳児を連れた若い女の人と目が合う、

慌てて戸を閉める、


やばいやばいやばい、

流石にどうしようもなくて止血して自宅に帰る、

呆れ顔の母親、


縫いに行った整形外科ではボロクソに言われ

処置する看護師は嫌味のオンパレード


今でも私の腕で一番太い傷。

カギがついている。

うちには、カギ付きのロッカーがある。

いたるところに南京錠がついている。

どういう意味かわかるでしょうか。


わたしが、食べるためのお金を、

家にある食べ物を、盗らないようにするための

両親の努力です。

信用されてないから、仕方がない。

別に悲しくはない、私が悪いから。


お金を使わない性格でした。

お年玉もお小遣いも、貯めていたのに、

過食症になって、全部、全部、食べ物に消えた。


足りない分は盗んででも食べた。

そんな、病気です。犯罪だね。わかってる。


きっとわたしは頭がおかしくなってしまったんだ。

摂食障害は、脳を蝕む。

おひっこし。

いえをたてた。

わたしが学校に行かなくなったころ、妹が中学受験をするころ。親がコンビニ行ってきたみたいな声で「土地買っちゃったー!」って感じで、家を建てた。

なんて軽さだ。

まぁそれなりに駅前が栄えているところ、元高級住宅街らしいそこは、近所に豪邸も多くて、のどかだった。

別に、自慢とかじゃなくて、大きい家しか建てられない地域ってだけで、うちは一般家庭。


学校に行けなくなって、鏡と睨めっこ、家を出る準備に2時間かかり、すぐに泣いて癇癪を起こす、幼児退行したわたしを母は、毎日のように外に連れ出し、家を建つ様子を見に行った。

体力もなく、栄養が足りてなくてイライラしているわたしを父は週末にサイクリングに連れて行ってくれた。


引っ越したことで、外出しても知り合いに会う恐怖がなくなり、引きこもりから脱却した。


しばらくして、お母さんが「犬飼いたくない?」と言い出して、6ヶ月の母犬候補だった小さなトイプードルと出会い、とてつもなくアクティブになった。


動物のセラピー効果は偉大で、症状が良くなることは特になかったけど、寂しさとか自己肯定感とか、紛らわされて、幸福度は上がった。


引っ越ししてよかったーって感じ。

治したい。

こころも体も健康で、幸せになりたい。


発症して、いや、摂食障害と診断されて4年、5年?通っていた専門学校をやめて、今、ようやく摂食障害を頼らない生き方をしたいと思うようになった。


長すぎた。自分の価値は痩せた体にあると思っていた私が、健康になりたいと思った。


今まで、痩せて死にたいとまて思っていたのに、たった3匹の犬に、生きたいと思わされた。

2匹の愛犬と、トレーニングの担当犬、大好きな3匹に私のこころの汚いものを見られたくない。この子たちが元気なうちに一緒に楽しいことをしたい。そして10数年後、看取ってあげたい。

できることなら、生涯犬と生きたいと、思ったら治すしかない。わたしを大好きでいてくれる犬たちに恥じない生き方をしたかった。

気がついているのかいないのか、左手を舐めてくれる犬たち、純粋な彼らにわたしの気持ちの起伏で当たりたくなかった。普通に、普通の、飼い主になりたかった。


不登校になってやめた専門学校に残された担当犬に、もう一度会いたい。卒業後に友人が引き取った後も、見守りたい。


元気になって、過食嘔吐をやめて、過食代を犬たちのために使いたい。

だから、死ぬ気で治そうと思った。

彼らの寿命は人間よりずっと短い。

絶対に後悔したくなかった。