わたしはたち。

おやすみ世界

ダイエット、始まり

 普通の人になりたかった。高校二年生の時、私の中の何かが壊れた。普通に学校に通うことと、普通の食事が取れなくなったのだ。


 摂食障害という病を、知っているだろうか。私は高校二年生の時に始めたダイエットをきっかけに成人した今も、渦の中にいる。高校受験をして受かった大学附属の進学校、友人にも恵まれて受験の心配もなく、順風満帆に過ごしていた。成績も可もなく不可もなく、体型も標準以下、顔はあまり良くない。


これと言って目立つものがなかった私は、自信が欲しくてダイエットを始めた。学校帰りに3駅前で下車して家まで歩いて帰る、おやつを減らしてみる。それでもあまり体重は減らずに、私は食べたものを吐くことにした。吐いてしまえばなかったことになると思ったのだ。次第に食べることが出来なくなっていき、飴一粒さえも口に入れては吐き出していた。体重は落ちていったがそれと同時に気分が不安定になり、教室に入れなくなった。内部進学に必要な出席日数や単位を落としてしまい、自暴自棄になり、完全不登校になった。


努力して入った学校を辞めなければいけない悔しさと、学校に行かなければその分の時間を運動に費やせる、という摂食の思考で頭がおかしくなりそうだった。ダイエットを始めた頃から手足に傷を作り何針も縫ったり、何十錠もの薬を飲んで意識を混濁させたりと自傷行為がやめられなくなった。


 高校三年生になってすぐ、母と言ったジムでトレーナーに、痩せすぎだと指摘された。そこで母が「バレないように脂質を摂らせているんだけど」と答えているのを聞いてから私は母の料理を吐かないと食べられなくなった。


みるみるうちに落ちていく体重、掛け布団がとても重かった。流石に死ぬかもしれない恐怖で精神科の戸を叩いた。MRICTを取り、沢山血を抜かれた、痩せすぎで心臓が通常の人の半分しか脈打っていないことがわかった。それほどまでに体を酷使していた。


入院した。でも病棟にはもっと細い子がいて、私は病棟で出されるご飯をこっそりビニールに入れてトイレに流した。心が苦しくて1ヶ月で退院した。

157cm34kgだった。でも、痩せているとは思わなかった。


退院後には階段を上がることが苦しくなった。


ここで何かの糸が切れたかのように

非嘔吐過食が始まってしまった。

地獄の始まりだ。